| こじろー 本名 長田幸次郎(おさだこうじろう) 兵庫県姫路市出身。(生まれは尼崎市) 昭和54(1979)年2月26日生まれ。 尊敬する人は高杉晋作、軌保博光。 音楽大好き。 女の子好き。 猫派。 おとなしい方。 カクテル作り・料理好き。 いいことをよく思いつく。 本番に弱い。 人の顔や名前をよく忘れる。 飽きやすい。 他力本願。 めっちゃ紐フェチ。 とりあえずmixiやってます。 ※基本的なプロフィールはこちらをお使いください。 大きいサイズの画像が必要な場合はご連絡ください。
バイオグラフィ 1979年2月26日 兵庫県尼崎市で生まれる。 以後、物心ついた時は大阪に、5歳から育ちである姫路市に住む。 ごく普通の少年生活をすごし、地元の高校を卒業。ひたすらバンド活動をする。 2001年4月 大学を卒業し、店を持つ夢の下、レストランでアルバイトをする。 渋谷ハチ公前にて、軌保博光に出会う。言葉を書いてもらい、感銘を受ける。 2003年6月 沖縄で軌保博光改めてんつくマンが総指揮・監督をするドキュメンタリー映画「107+1〜天国はつくるもの〜」の撮影に結いまーる隊として参加する。 7月 約1ヶ月をかけて、沖縄から鹿児島までサバニイカダ大作戦の伴走船リーダーとして船旅。 8月 博多にて路銀を少しでも稼ぐため、はじめて路上で言葉を書く。地元姫路に戻ったが帰宅せず、路上に座ると一人の女性が。彼女は僕の言葉を見て涙した。この時、詩人生活がはじまった。 2004年4月 映画から生まれた、海外支援団体NGO「MAKE THE HEAVEN」のWEB担当となる。 2005年2月 後の「風然」となる、はいさいプロジェクトを立ち上げ、水の大切さを伝える活動をはじめる。植林や緑化活動にも力を入れる。 2006年11月 風然設立 夢はカフェやレストランなどの店をつくること。みんなが元気になれる、店作りを目標にします。 追記 「やってもないのに無理って言うな」 てんつくマンのこの言葉で変わった。サバニの伴走船『ゆき丸』に乗ってるときだった。 僕は高校生活15歳の時、ミスチルや長渕や尾崎豊に憧れて、ギターを買った。そして、弾き語りもはじめた。 そこからはじめた作詞が僕の言葉人生のはじまりだった。詩や言葉を書くのが楽しくて、秘密の言葉ノートは高校生活の間に5冊もたまった。 でも、てんつくマンの姿を見て『人を見て言葉を書く』というのがどうもピンとこなかった。 「僕にできるんかなぁ」とぶつぶつ言ってたら、それをてんつくマンが聞いていて「やってもないのに無理って言うな」と言った、本人は覚えてないと思うけど。その後に、エコレンジャーレッドのたかや東京のりゅうさくが島々で書き下ろしをしている姿を見て、感じた。 僕の中にひっかかる気持ちがあるんやったら、とりあえずやろう。やってからできるか無理かを判断すればいい。 機会はすぐにやってきた。サバニが鹿児島にゴールしてから、次の日にヒッチハイクで通りがかりの人に乗せてもらい、新鹿児島駅まで送ってもらった。そして、電車を乗り継いで博多駅までなんとか辿り着いた。 やっぱお金が尽きた・・・もう、これはやるしかない。 思い立ったら即行動、百均に行ってありったけの小銭で筆と墨を購入。 ハンコが必要やと思ったけど、沖縄にいた時になぜか作っていた、これはありがたい、朱肉だけを購入。 和紙を売ってる店にいってみると、これが高い。一番安く済ませようと、コンビニに行っていらないダンボールをもらう。今で言う、自分の座布団、お客さんの座布団、地面に敷く敷物、看板、作品、書き下ろしもすべてダンボール。 つまり、タダ!缶ジュースも買えないところからの出発だ! 開始は夜の9時半、場所は博多駅、ほんまに人なんか立ち止まってくれるんかな。若干、不安気味やった。けれど、誰かが僕の目の前に立ち止まってくれた。 よっしゃ! そう思ったのも束の間、ホームレスのおっちゃんだった。ホームレスのおっちゃんはまるで僕と昔から友達だったかのように話しかけてきた。 まぁ、ホームレスのおっちゃんは朝まで隣にいてくれたのだが、そんなことはさておき、1時間ぐらい待っていると、「書いてください」の声が。同世代ぐらいの男性だった。やった、座っててよかった。 まず、名前を聞く、そして筆で大きくその名前を書く、ハンコを押す、ふたばなんて書くものもないので置いといて、ここまでは完璧だった。そして、相手の目を見る! さぁっ・・・あれ?言葉は?なんも思いつかない・・・インスピレーション?なにそれ? 看板には『あなたを見てインスピレーションで言葉を書きます』と書いてある。というより、自分で書いた。当たり前だけど、すぐにてんつくマンみたいになれる訳じゃなかった。 とっさに迷った僕は「何をやってる人なんですか?」と質問してしまった。いろいろと話をしたあとに、とにかく思いつくままに最後まで書ききった。不思議と緊張は感じなかった。これが、最初のお客さんだった。次の昼までに50人書き、そのお金で家路に着いた。 姫路に着いてから、なんとなくもう一回試してみようと思ったのか、姫路の路上に座ってみた。そして、しばらくするとハタチぐらい一人の女の子が。博多でやってた時と同じようにやってみた。 誰が見ても分かるように、元気がなさそうだったので、元気がでるような言葉を書こうと思った。 そして、書いてる途中なのに、その子が泣き出した。 ん?・・・つい、手を止めてしまい「大丈夫ですか?」とか聞いてしまった。 よく考えたら大丈夫じゃないから泣いてるんだと思った。 書いた言葉にえらく感動してくれて、元気になってくれて、ほんまに嬉しかった。 僕も一緒に泣いてしまいそうだった、あの感動は忘れられない。 その日を境に度々路上に出るようになり、今に至る。 |

